桜と平家ゆかりの地~神戸編~ [旅行・地域]
2012年、神戸では平年よりも5日遅い4月2日に桜(ソメイヨシノ)の開花が観測されました。
そして、満開が観測されたのが4月9日。
ちっとも暖かくならなくて心配したけれど、大好きな桜の季節が到来!
今年は、NHK大河ドラマ『平清盛』絶賛放送中(!?)ということで、桜を楽しみつつ平家ゆかりの地を訪ねることにしました。
まずは神戸市の須磨区へ。
JR須磨駅からの散策です。
須磨駅のすぐ前は砂浜。
瀬戸内海が広がります。
内海なので波低し。
須磨海岸を離れて高台へ。
このあたりは平地が少ないので、すぐ見晴らしのいいところにたどり着けます。
最初の平家ゆかりの地は…。
安徳帝内裏跡伝説地
安徳帝というのは、平清盛(松山ケンイチ)と時子(深田恭子)の孫に当たります。
<()内は、NHK大河ドラマ『平清盛』の役者名。以下同>
1180年(治承4年)に1歳4か月で天皇に即位。
一時、一ノ谷(現在の神戸市須磨区)に内裏を置いたとの伝説があるのだそうです。
安徳宮
安徳帝の冥福を祈って造られた小さな祠。
ここからまた下ります。
画面右奥に見える円筒状建物があるのは、須磨海づり公園。
須磨浦公園
鉢伏山・鉄拐山山麓にある、面積約103.8ヘクタールの公園。
海にほど近い公園らしく、黒松の並木と3200本の桜が楽しめます。
まだまだ蕾も多いころでした。
戦の濱碑
現代では人々が憩う場所が、平安時代には源平一ノ谷の合戦場でした。
みどりの塔
1954年(昭和29年)、昭和天皇・皇后陛下臨席で行われた国土緑化大会記念植樹祭を記念として造られた像。
作者は彫刻家の新谷英夫。
震災モニュメント
桜の根元にある丸い石は、もともとは桜の横の塀の上にあったもの。
それが阪神・淡路大震災のときに落下。
この石の大きさは直径1.2メートル、重さ2.4トン!
しかも、ただ載せてあったわけけではなく、コンクリートで固定されていたのに…。
震災の記憶をとどめておくために、落ちたままの状態にしてあります。
敦盛塚
一ノ谷の合戦で、16歳の若さで討たれた平敦盛の供養塔。
平敦盛は、清盛の弟・平経盛(駿河太郎)の息子です。
文楽と歌舞伎の『一谷嫩軍記』などの題材にもなっています。
ドラマには出てくるかなぁ…。
須磨浦公園のあとは須磨寺をめざします。
その途中、山陽電鉄須磨浦駅のそばには…。
平重衡とらわれの松跡
清盛の息子・平重衡が源氏に捕らえられ、「ささほろや 波ここもとを打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁酒なれ」と詠んだといわれる地。
須磨寺に到着。
ここからはすべて須磨寺の敷地内です。
須磨寺・本堂
須磨寺は、和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年(仁和2年)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりとされる真言宗のお寺。
本堂は、1602年(慶長7年)、豊臣秀頼が再建したもの。
源平の庭
一ノ谷での、平敦盛と武蔵の国の武将・熊谷直実の一騎打ちを再現した庭。
奥が敦盛。
義経腰掛の松
一ノ谷合戦で敗れた平敦盛の首を洗い、源義経がそれを確かめる際に腰掛けたとされる松。
敦盛首塚
平敦盛の菩提を弔うために建立されたもの。
須磨浦公園にある供養塔のほうには、胴体が祀られているといわれています。
須磨寺では、毎年、旧暦の2月7日、一ノ谷合戦源平戦士の追悼法要が行われています。
ちなみになぜ2月7日なのかというと、一ノ谷の合戦が1184年(寿栄3年)2月7日に始まったため。
800年以上昔の出来事が平成の世にも受け継がれているのは、なんとも不思議な気分です。
そして、満開が観測されたのが4月9日。
ちっとも暖かくならなくて心配したけれど、大好きな桜の季節が到来!
今年は、NHK大河ドラマ『平清盛』絶賛放送中(!?)ということで、桜を楽しみつつ平家ゆかりの地を訪ねることにしました。
まずは神戸市の須磨区へ。
JR須磨駅からの散策です。
須磨駅のすぐ前は砂浜。
瀬戸内海が広がります。
内海なので波低し。
須磨海岸を離れて高台へ。
このあたりは平地が少ないので、すぐ見晴らしのいいところにたどり着けます。
最初の平家ゆかりの地は…。
安徳帝内裏跡伝説地
安徳帝というのは、平清盛(松山ケンイチ)と時子(深田恭子)の孫に当たります。
<()内は、NHK大河ドラマ『平清盛』の役者名。以下同>
1180年(治承4年)に1歳4か月で天皇に即位。
一時、一ノ谷(現在の神戸市須磨区)に内裏を置いたとの伝説があるのだそうです。
安徳宮
安徳帝の冥福を祈って造られた小さな祠。
ここからまた下ります。
画面右奥に見える円筒状建物があるのは、須磨海づり公園。
須磨浦公園
鉢伏山・鉄拐山山麓にある、面積約103.8ヘクタールの公園。
海にほど近い公園らしく、黒松の並木と3200本の桜が楽しめます。
まだまだ蕾も多いころでした。
戦の濱碑
現代では人々が憩う場所が、平安時代には源平一ノ谷の合戦場でした。
みどりの塔
1954年(昭和29年)、昭和天皇・皇后陛下臨席で行われた国土緑化大会記念植樹祭を記念として造られた像。
作者は彫刻家の新谷英夫。
震災モニュメント
桜の根元にある丸い石は、もともとは桜の横の塀の上にあったもの。
それが阪神・淡路大震災のときに落下。
この石の大きさは直径1.2メートル、重さ2.4トン!
しかも、ただ載せてあったわけけではなく、コンクリートで固定されていたのに…。
震災の記憶をとどめておくために、落ちたままの状態にしてあります。
敦盛塚
一ノ谷の合戦で、16歳の若さで討たれた平敦盛の供養塔。
平敦盛は、清盛の弟・平経盛(駿河太郎)の息子です。
文楽と歌舞伎の『一谷嫩軍記』などの題材にもなっています。
ドラマには出てくるかなぁ…。
須磨浦公園のあとは須磨寺をめざします。
その途中、山陽電鉄須磨浦駅のそばには…。
平重衡とらわれの松跡
清盛の息子・平重衡が源氏に捕らえられ、「ささほろや 波ここもとを打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁酒なれ」と詠んだといわれる地。
須磨寺に到着。
ここからはすべて須磨寺の敷地内です。
須磨寺・本堂
須磨寺は、和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年(仁和2年)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりとされる真言宗のお寺。
本堂は、1602年(慶長7年)、豊臣秀頼が再建したもの。
源平の庭
一ノ谷での、平敦盛と武蔵の国の武将・熊谷直実の一騎打ちを再現した庭。
奥が敦盛。
義経腰掛の松
一ノ谷合戦で敗れた平敦盛の首を洗い、源義経がそれを確かめる際に腰掛けたとされる松。
敦盛首塚
平敦盛の菩提を弔うために建立されたもの。
須磨浦公園にある供養塔のほうには、胴体が祀られているといわれています。
須磨寺では、毎年、旧暦の2月7日、一ノ谷合戦源平戦士の追悼法要が行われています。
ちなみになぜ2月7日なのかというと、一ノ谷の合戦が1184年(寿栄3年)2月7日に始まったため。
800年以上昔の出来事が平成の世にも受け継がれているのは、なんとも不思議な気分です。
「平清盛」、毎週観てます。
ここ最近の大河の中では、いちばん好きなのに
視聴率の悪さばかり話題になって残念…。
ゆかりの地を巡る旅、いいですね♪
by pica (2012-05-02 01:44)
義経腰掛の松が大切に残ってるなんて。
本よりも、漫画でこのあたりの歴史を知りました。
歴史が続く、祭祀が行われることに
身が清まる思いがします。
by あぁ (2012-05-04 00:03)
*picaさん*
『平清盛』の視聴率が芳しくないのは、登場人物になじみがないせいかなぁ。
清盛が棟梁になったので、これからのほうはお話はわかりやすくなるんじゃないかと期待しているのですが…。
平家ゆかりの地巡りはまだ続きます。(^_^;
nice!もありがとうございました。(^^)/
by mikanpanda (2012-05-11 19:18)
*あぁさん*
こうしたゆかりの地を訪ねると、物語の登場人物ではなく、人として息づいていたのが感じられ感慨深いものがあります。
今回行った場所には「一ノ谷」という地名も残っているんですよ。
架空の人物じゃないんですよねぇー。
by mikanpanda (2012-05-11 19:24)
*hisaさん*
nice!をありがとうございました。(^^)/
by mikanpanda (2012-05-11 19:25)