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母との別れ [日記・雑感]

2011年10月18日22時46分、母が他界しました。

母が病に伏して1年1か月。
2度の手術、2度の転院…。
長いような短いような、これまでの人生で味わったことのない時が流れる日々。
それが終わりを告げ、2か月が過ぎました。

私の住まいは、母が入院している病院とはかなり距離があります。
そのため、自宅へ戻るとき「また来るからね」と母に声をかけつつ、「もしかしたらこれが最後になるかもしれない」とつねに覚悟のようなものも抱いていました。
後悔しないようにしてきたつもりです。
でも、いざそれが実際に起こるとなると、また心持ちは違うもんですね。

kobe.jpgそうなのです。
私は、母の最期の時に立ち会うことはかないませんでした。
私が母に会ったのは、母が旅立つ10日前。
3日後にはまた会いに行こうと予定していたのに、母は待っていてはくれませんでした。
危篤の知らせが入ってから1時間後には息をひきとったため、600キロ近く離れた場所にいる私にはどうすることもできなかったのです。

娘としてこれでよかったのか、しばらく自問自答する日々が続くのでしょう。

でも、いちばん心を占めているのは、こんなに早く逝ってしまうのならば母が元気なうちにもっと帰っておけばよかったということ。
避けられない別れではあったけれど、その日までは少なくとも10年は余裕があると思っていたので…。

母を亡くすってこんなに悲しいことだったんですね。
これまでと変わらずに日々を送りつつも、心の空洞化が埋められません。
自分の気持ちに戸惑う日々です。
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あぁ

自分の出来ることをどんなにしていても
もっとハグしたかった、もっともっとと、切りがありません。
御母堂様が、mikanpandaさんが遠くから来てくれてたことを
どんなに嬉しく思ってらしたでしょう。

空洞を埋めるのが下手くそで、メソメソが止まらなくなりますが、
空から見守ってくれてる感じると、ありがとうがいっぱい溢れます。

mikanpandaさんと出会わせてくれた、御母堂様に感謝します。
お空から、見守ってくださっていると思います。


by あぁ (2011-12-20 16:58) 

レッドパラダイス

お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

神戸と埼玉の往復、とても大変だったと思います。
お疲れ様でした。

自分も母を7年前に癌で亡くしました。
医者との信頼関係が崩壊し病院を離れ最期は循環医に点滴・モルヒネを打ってもらい自分が終わる頃合いを見計らって外しに来ると言う日々の中、自宅で息を引き取りました。

自分なりにやれる事をやろうと出来る限りの事をしたつもりでしたが未だにもっと何か・・・と自責の念から逃れる事が出来ないでいます。

きっとどんな形であれ親を失うと言う事は今まで享受してきた愛情の大きさに今更ながらに気付かされるからなんだと思います。

想う気持ちはきっとお母様に届いていますし、そっと傍らに佇んでいるはずです。

お体ご自愛くださいませ。


by レッドパラダイス (2011-12-20 21:26) 

mikanpanda

> あぁさん

たとえが悪いけれど、不発弾の埋め込まれている道を日々行き来している感じです。
何事もなく通れる日もあれば、何かの拍子に爆発して悲しくなってしまう…。
きっとこれを繰り返しながら徐々に悲しみが薄れていくのでしょうね。

世界に出て戦っている人と自分を一緒にするのはおこがましいと思いつつ、私よりもずっとずっと若い浅田真央ちゃんがきっちり自分の為すべきことにきっちり向かい合っているのを見ると、私もしっかりしなきゃと思います。

私も、あぁさんと出会えてうれしいです。
これからもどうぞよろしく。

by mikanpanda (2011-12-27 19:34) 

mikanpanda

> レッドパラダイスさん

お母さまをご自宅で看取られたのですね…。
それでも自責の念を抱かれるのならば、悔いなく見送れるのはそうないことなのかもしれませんね。

「日本の母」という雰囲気はあまりなかった母ですが、それでも私たち娘に対する愛情は特別のものだったようです。
失って初めて大きさを思い知らされています。
私自身は子供もいないし、母とのような血の濃い関係はもうないのだと思うとよりいっそう悲しみが増します。
持っていないものを数えてもしかたのないことですが…。

いつか母に会ったときにがっかりされないよう、日々を送っていきたいと思います。


by mikanpanda (2011-12-27 19:47) 

pica

すこしは落ち着かれたでしょうか。

離れていたが故に最期に立ち会えなかった悔しさを知っています。
私もそうだったから。
その何時間か前に会ったものの、父の最期は間に合わず…。
あのとき、なぜ一度家に戻ったのかと、いまでも思います。
でも、そのことより最後にかけられた言葉がどうしても聞き取れず
理解できなかったことが一番の心残りでした。
それでも長い月日をかけて、自分の中で折り合いをつけました。

mikanpandaさんの中で、受け止められる日はまだ先でしょうが
お母さまの姿がそこにはなくても、見守ってくれているでしょうから
たまには笑顔を見せてあげてくださいね。

お母さまのご冥福をお祈りいたします。
by pica (2012-01-04 12:42) 

mikanpanda

*picaさん

母が旅立ってから3か月がたちました。
年が明けてから映画『ステキな金縛り』を見に行ったのですが、泣きましたとも。(^_^;
三谷さんもこんなに泣くとは予想してつくっていないでしょうねぇ。
もちろん笑えるシーンもあったんですよ。

心が落ち着くまでにはもう少しかかりそうです…。
無理をせず、徐々に平らかになれたらと思っています。
by mikanpanda (2012-01-20 20:20) 

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